- 日本最古のホテルをルーツに、西洋と東洋、伝統とモダンが心地よく融合した
いつの時代でも最高の笑顔になっていただける時間をお約束いたします。 - マニュアルではなく、真心に根ざしたおもてなしで
心をほどいてくつろげるリゾートエレガンスなサービスをお約束いたします。 - 移ろう時間を大切にする日本らしい感性豊かなしつらえで
自然との一体感をお約束いたします。 - 和のおもむきと洋の機能性を兼ね備えた
ゆったりとした時が流れる空間をお約束いたします。 - 四季折々の地場食材を贅沢に、多くの品数を少しずつ、
懐石料理をベースに洋のテイストを取り入れた料理をお約束いたします。
日本のホテル近代化の立役者ジョン金谷鮮治の伝説
流暢な英語で語りかけられた「はじめまして」。鬼怒川金谷ホテル創業の指揮を執ったジョン・カナヤことジョン金谷鮮治が、生まれたばかりの孫に最初にかけた言葉です。この日、病院を訪れた鮮治は真っ白なモーニングジャケットにシャポー、手にはステッキという目を引くいでたち。若い頃に欧米諸国を漫遊し、西洋の文化を吸収した彼は、ダンディという形容がぴったりの紳士でした。
ジョン金谷鮮治の「ジョン」はクリスチャンの洗礼名で、本人は生粋の日本人。日本最古のリゾートホテルとして名高い「日光金谷ホテル」の創業者、金谷善一郎の孫にあたります。西洋式に靴のまま生活する家庭環境で育ち、一族のパイオニア精神を深く受け継いだ鮮治は、一流ホテルで修行を積んだのち、「鬼怒川温泉ホテル」の初代社長に就任。当時、鬼怒川温泉随一の規模を誇った同ホテルを発展させるとともに、鬼怒川エリアの発展にも寄与。また、日本ホテル協会理事長などを歴任して、国内のホテルや観光業界の近代化に大きく貢献しました。
継承され、進化し続ける“和敬洋讃”のスピリット
1971年、鮮治は新たに西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープン。日本の食文化を西洋の料理やインテリア、サービスと融合させた同店は、彼の経営哲学"和敬洋讃(和を敬い、洋を讃える)"を具現化したものでした。国内外で一流の食や文化、芸術にも触れることで独自の美学を確立した鮮治が目指したのは、和と洋両方のよさを兼ね備えた一流の設備とサービス。そして、その集大成として「鬼怒川金谷ホテル」が開業したのは1978年です。心待ちにしていた鮮治は前年に病のため他界、完成を見ることは叶いませんでしたが、長男の輝雄、孫の譲児がそのスピリットを継承。経営哲学を守りながら、時代に合わせて改良を重ね、別荘のくつろぎとホテルの洗練された空間や利便性の融合を実現させました。現在は、古代檜の大浴場とお洒落なシガーサロンが共存する、唯一無二のリゾートホテルとなっています。日本最古のリゾートホテルから日本最高のリゾートホテルへ。鬼怒川金谷ホテルの挑戦はこれからも続きます。
■ ジョン・カナヤ プロフィール
1910年 (明治43年) | 金谷ホテル創業者 金谷善一郎の孫として、日光金谷ホテルで誕生 |
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1934年 (昭和9年) | 立教大学卒業後、箱根富士屋ホテル、帝国ホテルで修行 |
1953年 (昭和28年) | 日光金谷ホテルから独立・設立された鬼怒川温泉ホテル株式会社の社長に就任 |
1957年 (昭和32年) | 火災によりホテルを消失するも、翌年には再建を果たす |
1960年 (昭和35年) | ホテルニュージャパンの設立に際し、同ホテル常務として携わり、ホテル業界では初めて和風スタイルの導入を提言。 その後も、北炭観光開発株式会社(後の三井観光開発株式会社)副社長として札幌グランドホテル、札幌パークホテルなどの運営にも携わったほか、東京レストラン経営株式会社、日本ハイウェーサービス株式会社、株式会社白良荘、日光開発株式会社などの経営に参画。 また、日本旅行協定旅館連盟会長、日本ホテル協会理事長、内閣観光政策審議会専門委員など、日本における高度成長期の観光事業の要職に就き、日本を代表するホテルマンとして業界に名声を博した。 プライベートでも立教大学在学中からアイスホッケー部の金谷三兄弟の長兄として活躍し、その"破天荒"な生き方は、後世さまざまな伝説を残した。 |
1971年 (昭和46年) | 西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープン。 鮮治のグルマンとしての経験と知識が結集され、懐石料理のエッセンスを取り入れた新しいフランス料理を創造、当時の粋人達を虜にした。 料理の鉄人の"ムッシュ"坂井宏行が初代シェフを務めた伝説のレストランとして知られ、数々の著名な方々に愛されたお店としても有名に。 白いリンカーンと葉巻がトレードマーク・・・ 銀座を歩くと、各辻の花売りが直立不動で挨拶を・・・ ピカソの絵を値段も聞かずに購入した・・・ 海外旅行のお土産として、ダイヤモンドで社員章を作り役員に・・・ ローマのレストラン「アントニオ」に行くと必ず特別製の貴族向けカトラリーがセッティングされた・・・ などなど、ジョン金谷鮮治には数々の豪快な逸話がある。 その時代を見越したアイディアセンスと幅広い人脈は、高度成長期の昭和の良き日本を代表した粋人と言えるだろう。 |
1977年 (昭和52年) | 準備中であった鬼怒川金谷ホテルの開業を目前に他界 |
1873年 (明治6年) | 「日光金谷ホテル」の創業者 金谷善一郎がひとりの外国人(ヘボン式ローマ字の発案者ヘボン博士)とのふれあいから、自宅の一部を外国人に提供し、「カッテージ・イン」と名付け外国人向け宿泊施設を始めたのが金谷家ホテル業の歴史のスタートであり、日本におけるホテルの起源のひとつとなった。 |
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1878年 (明治11年) | カッテイジ・インにイザベラ・バード女史が宿泊、著書「日本奥地紀行」に記録を残す |
1879年 (明治12年) | 金谷善一郎に長男眞一が誕生 |
1882年 (明治15年) | 金谷善一郎に次男正造が誕生 |
1888年 (明治21年) | 金谷善一郎に長女多満が誕生 |
1893年 (明治26年) | 本館2階建て30室の日光金谷ホテルを開業。現在の日本ホテル協会につながるホテル懇親会の第1回会合を開催 |
1904年 (明治37年) | 日光金谷ホテルに新館を建設。ボールルーム及び客室を増設する |
1910年 (明治43年) | 8月22日 金谷多満に長男鮮治が誕生 |
1914年 (大正3年) | 金谷眞一が宿泊客の送迎用にフォード車を14台購入。これを機に自動車会社を設立し、日光の交通を大きく変えた 箱根富士屋ホテルの山口家に婿入りした金谷正造が同ホテルの取締役に就任する(1943年には社長に就任) |
1927年 (昭和2年) | 浅草から日光までの東武鉄道開通に伴い、延べ23,000坪という壮大な規模の旅館計画がスタート |
1928年 (昭和3年) | 金谷ホテル株式会社を同族により設立、金谷眞一が社長に就任 |
1931年 (昭和6年) | 日光金谷ホテルの鬼怒川温泉支店として鬼怒川温泉ホテルを開業、金谷多満の夫である正生が初代館主に就任。 |
1938年 (昭和13年) | 鬼怒川温泉ホテルが火災により焼失する |
1940年 (昭和15年) | 鬼怒川温泉ホテルを自費で再建する |
1942年 (昭和17年) | 金谷鮮治の長男に輝雄が誕生 |
1953年 (昭和28年) | 金谷ホテル株式会社から分離して鬼怒川温泉ホテル株式会社を設立し、金谷鮮治が社長に就任 |
1957年 (昭和32年) | 火災により鬼怒川温泉ホテルを焼失するが、翌年には再建 |
1960年 (昭和35年) | 金谷鮮治ホテルニュージャパン設立に際し、同ホテル常務として携わる |
1967年 (昭和42年) | 鬼怒川温泉ホテル株式会社が東京周辺の事業拡張のため本社を東京に移転 |
1969年 (昭和44年) | 鬼怒川温泉ホテル株式会社から金谷ホテル観光株式会社に社名変更 |
1971年 (昭和46年) | 同年4月に竣工した六本木10階建て本社ビル内に、西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」オープン 初代シェフに坂井宏行氏が就任 |
1973年 (昭和48年) | 金谷輝雄の長男に譲児が誕生 |
1976年 (昭和51年) | 本社ビル内に、英国酒場「ジョンカナヤ」オープン 金谷輝雄が金谷ホテル観光株式会社の社長に就任 |
1978年 (昭和53年) | 鬼怒川金谷ホテル開業 |
1981年 (昭和56年) | これより10年の歳月を掛け鬼怒川温泉ホテルの全面改装に着手する |
1989年 (平成元年) | 鬼怒川金谷ホテルに古代檜風呂を新設 |
1991年 (平成3年) | 鬼怒川温泉ホテルを改修、女性大浴場及び露天風呂、全天候型室内温水プールを新設 |
2004年 (平成16年) | 「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」 多くのセレブリティに惜しまれつつ閉店 |
2005年 (平成17年) | 鬼怒川金谷ホテルがリニューアル。クラブフロアを新設する |
2010年 (平成22年) | 鬼怒川温泉ホテルが「人と人をつなぐ旅〜結旅」をテーマに2期の工事を経てリニューアル |
2011年 (平成23年) | 金谷譲児が金谷ホテル観光株式会社の社長に就任 |
2012年 (平成24年) | 4月17日 約2ヶ月間に渡る大規模リニューアルを実施。 "ジョンカナヤが愛した「渓谷の別荘」"をテーマに、新生「鬼怒川金谷ホテル」が誕生 |
- 日本で初となる外国人専用の民宿「カッテージ・イン」が後にこの日光金谷ホテルへと成長した。
- 「カッテージ・イン」が現在地の「金谷ホテル」へと生まれ変わったのが1893年(明治26年)のこと。
- 1931年(昭和6年)に、ジョン金谷の父、金谷正生が開業した鬼怒川温泉ホテルの当時の様子。
- 談話室「つつじの間」には英国調のリビング家具が配され、床には最高級のペルシャ絨毯が敷かれた。
- 初期のレストランの様子。当時世界的に流行していたアールデコ様式のインテリアが配された。
- 現在の鬼怒川温泉ホテル
- 鮮治のグルマンとしての経験と知識が結集されたフレンチレストランは当時の粋人達を虜にした。(西洋膳所ジョンカナヤ麻布)
- 鮮治のコレクションでもあったガブリエル・ロワールのスカルプチャードグラスがふんだんに配された。(西洋膳所ジョンカナヤ麻布)