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法師の歴史
霊峰白山を仰ぎつつ

粟津温泉の入り口 泰澄大師像
東には日本三大霊山の一つ、白山が優美にして神々しい稜線を描き、西には四季それぞれに豊かな幸を恵む日本海がひろがる、山紫水明の地。
ここ粟津温泉こそは、文字通 り、天寵の里と申せましょう。
その開湯は、いまより約千三百年も昔の養老二年(718年)。
『法師』の歴史もそのときから始まります。
白山大権現が泰澄大師の枕元に立たれて申されるには「粟津に霊泉あり…」

泰澄大師を祀る祠:白山山頂 写真/小林憲生
奈良の都を中心に仏教が盛んになったころ、一方では多くの名僧が人跡未踏の高い山に登り、厳しい修行を積んで仙人の術を会得し、いわゆる山岳仏教をおこしました。その一人が有名な泰澄大師です。
泰澄大師が白山山頂で荒行を始められてからおよそ一年後のある夜、白山大権現が夢枕に立たれて、こう申されました。
『この白山のふもとから山川を越えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲による霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ、だれ一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前は、ご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人びとのために役立てるがよい』
伝承一千三百年

おっしょべ橋に描かれたくくり姫(白山大権現)
神のお告げに従って粟津へ赴いた大師はすぐさま村人の協力によって霊泉を掘り当て、試しに病人を入浴させたところ、たちまち永患いが治りました。そこで大師は、それまでずっと身近に仕えていた弟子の雅亮法師に命じて一軒の湯治宿を建てさせ、その湯守りを雅亮法師におかませになりました。
ちなみに雅亮法師は初めて大師を白山山頂までご案内した樵夫・笹切源五郎の次男でございました。
これが『法師』と呼ばれる宿の、四十六代にわたる歴史の始まりでございます。
歴代善五郎・こころおぼえ
養老二年(718年)粟津開湯
●初代善五郎。
雅亮法師として白山開祖泰澄大師に仕え、
養老二年(718年)、大師による粟津開湯に際し、
大師の命に従い万人の難病治癒のため
湯治宿法師を開く。
●十代善五郎の頃。
正暦元年(990年)花山法皇、
自主山厳屋寺に参詣され那谷寺と改め、
以後しばしば粟津温泉・法師にて
ご入浴あそばさる。
●十七代善五郎の頃。
源平の合戦始まる。
文治三年(1187年)源義経と武蔵坊弁慶
『安宅の関』越え。
粟津の温泉は飲用として用いても効能がある
一向一揆
●二十七代の頃。
一向一揆。
蓮如上人、探索の目を逃れて法師の飯焚きに身をやつすと伝えられる。

『金沢城』
天正11年(1583年)、前田利家が金沢城に入り、
その直後から本格的な城づくりが始められた。
黄門杉
●三十三代の頃。
小堀遠州、法師を訪れ庭園造りを指導。
この頃に古九谷誕生。
寛永十七年(1640年)
黄門前田利常公の来訪を記念して
法師門前に『黄門杉』を植えられる。
●三十五代の頃。
松尾芭蕉北陸各地を行脚し
『石山の石より白し秋の風』 の一句を遺す。
●三十九代善五郎の頃。
寛政十一年(1779年)
『湯元心得二十一カ条』 成る。
粟津温泉のシンボル『黄門杉』

『湯元心得二十一カ条』
寛政年(1779年)、三十九代目の時代に村役人が定めた。
法師で入浴の際、守らなければならない条文が並ぶ。
粟津八景
●四十一代の頃。
『粟津八景』 を定む。
●四十三代の頃。
桂太郎、法師に宿し延命閣にて
『善吾楼』を揮毫。
●四十六代善五郎、
世界で創立200年以上の由緒ある企業のみで構成する
『エノキアン協会』 に加盟。
●四十六代善五郎、
『世界で最も歴史あるホテル』として
ギネスに認定される。
大浴場入り口を飾る『粟津八景』の陶壁画

『エノキアン協会』
1981年にフランスで設立された経済団体で、
家業歴200年以上の企業のみ加盟を許される老舗企業の国際組織。



























